助けたい症候群~しんどい生き方から卒業するために

中村陽子/心理カウンセラー

家族や親しい人の中に助けたかった誰かがいた。
けれど助けることができなかった。
あのとき助けることのできなかった代償に、自分を生きることを横に置いて、いつも誰かを助けようとしたり、誰かの役に立たなくてはという生き方をしている。
そんな助けたい症候群についてのお話です。

たとえばこんなこと、ありませんか?

付き合う相手がいつも助けなきゃいけない相手で、相手のことまで自分が背負ってヘトヘトになって「どうして自分ばっかり、やらなきゃいけないの!」と爆発してしまうことがある。

友達の愚痴を聞かされることが多い。自分が疲れていても愚痴に付き合って、疲れてしまうことがよくある。

実家で暮らしている。本当は家を出たいけれど、家に置いていくわけにはいかない家族がいる。家族との間でちょっとしたことで、なぜか爆発してしまうことがよくある。

なぜか苦労性の生き方をしている。誰かを背負う生き方をしている。幸せそうな人たちを見ていると、自分とは違う世界の住人のように感じる。

相手の抱えている苦しみを知らないうちに自分も抱えて、同じ苦しみを持つことで相手を助けようとする。
(いつも心が晴れない重たい感じがある。家族がしんどい思いを抱え始めたのと同じ、幼少期・思春期からのことが多い)

自分自身のことは横に置いて、ときには自分の身を削りながら、誰かのために頑張ることをしている……。

たとえば、これらのことに心当たりがあるなら。
もしかしたら、助けたい症候群かもしれません。

助けたい気持ちや役に立ちたい気持ちがよくないということでは、決してありません。
助けたい、役に立ちたい気持ちをここまで強く持てるのは才能です。

だけど助けたい症候群は、誰かを助けよう、役に立とうとするあまりに自分を犠牲にしてしまいがちなんですね。
自分を犠牲にするとは、自分が幸せになること、自分を満たすことを横に置いて、誰かを助けよう、役に立とうとすることです。

だけど自分を犠牲にするやり方では、無理が生じます。
「どうして自分ばっかりこんなにやらなきゃいけないの!」という気持ちにもなるし、「みんなはいいよな。幸せそうでいいよな。だけど自分は何も手に入れられない」と周りをうらやむ気持ちも出てきます。

自分を満たすこと、自分を幸せにすることを横に置く生き方
をしているからなんですね。

助けたい気持ちを強く持っている人は、ものすごく心やさしい人なんですね。
愛情深い、情に厚い、とてもやさしい人なんです。

正体不明の落ち込みを感じることも

助けたいマインドを持っている人(助けたい気持ちを強く持っている人)が誰かとかかわったあと「助けられなかった」という気持ちを感じると、すごく落ち込んで、ときには寝込んでしまうことがあるようです。

たとえば、
お母さんの愚痴を子どもの頃から聞いてあげているとします。
今週もお母さんから電話で、泣き言やお父さんへの愚痴を聞かされました。
ひとしきり1時間も話を聞いたものの、
お母さんは「お父さんと一緒になるんじゃなかった」「自分はなんて不幸なんだろう」と自分のことを嘆き続けて、電話が終わりました。

そのあと、どっと落ち込むとしたら。

親を助けたいけど、助けられない。
どうすることもできない。
自分がどう頑張ってもお母さんは幸せになってくれない無力感をずっと抱え続けてきたのかもしれません。

子どもの頃から親の愚痴を聞いては
なんとかしなきゃ、助けてあげなきゃ、どうすればお母さんが笑顔になってくれるんだろうと思うけど、
どうすることもできないという無力感。

助けられない無力感
役に立てない無力感
何の力にもなれない無力感

こんな無力感を感じたときに「落ち込む」「寝込む」こともあるようです。
(もちろん、落ち込むこともあれば落ち込まないこともあります)

あくまで私の体感ですが
どーんと落ちて、起き上がれない感じ
寝込んで、起き上がれない感じ
なんもできない、もうなんにもできない
そんな感じ。

こんな感覚を感じているとしたら、とてもしんどいですよね。

爆発しちゃう自分に自己嫌悪

いま、生活の中で助けたい誰かと暮らしていて
相手のしんどそうな姿を目にしている方もいらっしゃるかもしれません。

助けたい相手のしんどそうな姿が生活の中にあるとき、
助けたい気持ちが大きいほど、しんどい気持ちになるものです。

なんとかしなくちゃと思うけど、なんともできないために相手に文句を言ってしまうこともあります。

文句を言ったとき、相手が凹んだ顔をする。
その顔を見て、文句を言った自分に落ち込む――。

生活の中でそんなことが繰り返されると、自己嫌悪も抱えるようになります。

助けたいのに、助けられない。
その渦中にいるとき、
落ち込みやいら立ち、自己嫌悪を感じることが多いかもしれません。

相手にいら立って、当たってしまって、自己嫌悪を感じているとき。
自分のことを「いいやつ」とは、思えません。

自分は、ひどいな。
自分はなんて冷たいんだろう。
そう感じてしまうんです。

だけど
これほどまでに無力感を感じたり、いら立って自己嫌悪を感じたりするのは
根っこに、相手を想う気持ちがあるからです。
心やさしい気持ちがある分だけ「自分はひどいことしちゃってる」「自分は冷たい人間だ」と感じてしまうんですね。

大事なので、繰り返します。
やさしくできない自分をひどく責めてしまうのは、相手を想う気持ちがあるからです。
心やさしいからなんです。

助けられなかった人の代わりに、誰かを助けようとする

だけど、この助けたいマインドをどうして持つようになったのか。

それは過去の「助けたかったんだけど、助けられなかった」体験から生じていることが多いんですね。

家族の誰かを助けたかった。
家族の役に立ちたかった。
家族の誰かを満足させたかった。
だけどできなかった。
という体験をしていることが多いんですね。

例えば
子供の頃に家族の中でこんな問題があったかもしれません。

・お父さんとお母さんがケンカして、二人の仲がすごく悪くなった
・同居のお祖母ちゃんとお母さんの仲がすごく悪くて、お母さんが泣いている姿を見ていた
・病気のお母さんがいて、いつもしんどそうな姿を見ていた
・お父さんの会社が急に傾いてしまい、お金の問題で親が頭を悩ませていた
・お父さんがアルコール依存症で、お酒を飲んではお母さんに暴言を言っていた

家族の中に起こる問題は、さまざまなケースがあります。
説明のために、一つの例をお話します。
(ご本人から許可をいただいています)

お父さんが病気になったAさんのお話です。
Aさんが子どもの頃。
お父さんが病気になって、家に居てもふさぎ込むようになりました。
会社も休職して、しばらく家にいる時期がありました。

そうすると。
家の空気は、重くなりますよね。
病気のお父さんを心配してか、家族みんなが重たい空気になりますよね。

Aさんはお父さんのことが大好きでした。
元気でかっこいいお父さんではなくなっているのを
なんとかしたかったんです。
だけど、子どもの自分には、なんとかすることができません。

自分が学校生活を楽しんでいるのは、悪い気がして。
本当は部活を友達と活発にやりたかったんだけど。
家の中の重たい空気とそぐわない気がして、
自分だけ元気にしてはいけないのかなと思うようになりました。

そして気づくと、お父さんのしんどさを自分も一緒になって感じるようになったのです。

お父さんが休職した分、お母さんはお金の心配をするようになりました。
子どもだから、お金を稼ぐことはできません。
「自分がいるだけで、迷惑をかけてるんじゃないか」「自分はお金の迷惑をかけないようにしなくては」と思うようになりました。

そんな子ども時代を過ごしたためか。
手に職をつけて、早くお金を稼げるようにならなきゃと強く思うようになりました。
早くお金を稼げるようにならなきゃ、早く自立しなきゃ。少しでも親に迷惑をかけないようにと思い、早めに自立をし、家を出ました。

そのとき、彼女はきょうだいと一緒に家を出ました。
なぜかというと、体調不良で仕事をしていないきょうだいがいたからです。

両親にお金の負担をかけてはいけない、と子どもの頃に思った気持ちを果たすために、きょうだいを自分が背負う形で家を出たのです。

その頃には、お父さんの病気は治っていました。
家計の心配もしなくていい状態でした。
それでも彼女は「両親にお金の負担をかけてはいけない」という、子どものころに思った気持ちを持ち続けたままだったのです。

そのため、自分がきょうだいを背負う形で家を出たのです。

それ以来、彼女はきょうだいと暮らすようになりました。
メインの大黒柱は自分の収入で生活をしていました。

だけど、限界が訪れます。
きょうだいの分まで、どうして自分がお金を出さなきゃいけないんだろう。
いつまで、この生活を続けなくてはいけないんだろう。

そんな気持ちでパツパツになりました。
節約して節約して、自分にはぜんぜんお金を使わずに、一生懸命二人の生活を支えてきた。だけど、相手は好きにお小遣いを使っているように見える。
なんで自分ばっかり我慢しなきゃいけないの。
もう頑張れない。もうこれ以上は無理。
そして、燃え尽きそうになっていたのです。

自分を生きることを横に置いて、誰かのために頑張るという「犠牲的な生き方」。
していませんか?

自分を犠牲にしていると、うらみつらみが溜まるもの

彼女は自分のことを「冷たい人間」「ひどい人間」と思っていました。
というのも、いつもこう思っていたからなんです。

「お父さんさえ、あのとき病気にならなかったら。私はこんなふうにならなくてもよかったのに」

言い換えると、こんな意味になります。
「お父さんさえ病気にならなかったら、私は自分の人生を犠牲にしなくてもよかったのに」

でもね。
自分を生きることを横に置く犠牲的な生き方をしていると、こういう気持ちになります。
そりゃあ、なりますよ。
自分を生きることが、できないでいるから。

自分の人生を生きたい自分が、嘆いているんです。
「どうして自分の人生、生きることができないんだ」って。

「お父さんのせいだ」とか「きょうだいのせいだ」と言いたくもなります。
ときには、八つ当たりすることだってあるでしょう。


お父さんが病気になったころ、
彼女は「助けたいけど、なんにもできない」と思っていました。
何もできない代わりに、迷惑はかけないようにしたんです。

家族に大変なことがあったことをきっかけに
迷惑をかけないようにする、という愛し方をするようになること。
実はとっても多いんです。

そのときの自分にできることは、
自分のことで親に迷惑をかけないようにする、
ということだけだったから。

Aさんと同じように、家の中の重たい雰囲気に自分を合わせようとした結果、
「楽しいことをしちゃいけないんじゃないか」
「友達と活発に活動しちゃいけない」と思うようになり、
子どもらしくみんなと同じようにワイワイ遊んだり、
「これしたい、あれしたい」と思ったりする気持ちに
蓋をしてしまうこともよく起こります。

親を助けたい気持ちから
自分のやりたいことや、自分本来の欲求に蓋をした。

だけど自分のやりたいこと、自分の気持ちに蓋をしてる分、
怒りもたまるんですね。

だから、この状態にいるとき
自分が思う自己イメージとしては
「内面に怒りを抱えている自分」「あれしたいこれしたいという気持ちを抑え込んだ恨み」を感じていることが多いので、
自分のことを「性格が悪い」とか「ひどいやつ」と感じていることがすごく多いんですね。

怒りって、内面に抱え込んでしまうと、
ドロドロとしたうらみになって
親やら、世の中への<うらみつらみの妄想>みたいなものを脳内に繰り広げてしまうんですね。

これは、自分の性格悪いからではなくて
怒りのエネルギーを抑え込んで、抱え込んだままになっているから、ドロドロのネガティブな、世界を呪うような妄想が
脳内に巻き起こっているだけなんですね。

怒りのエネルギーは攻撃のエネルギーですから、その攻撃のエネルギーが自分の内側でぐるんぐるんしてると、うらみつらみになっちゃう、というだけなんです。

だけど
感情とうんちは同じ。
溜め込むのは、よくない
わけなんです。

そのため、
人に話して聞いてもらったり、怒りやうらみつらみをノートに書き出したり、カウンセリングの心理セラピーなどでたまった感情を開放していくといいんですね。

ためこんでいるから、うらみつらみの妄想が脳内を占拠しているだけ。
たまったものを開放しちゃえばいいだけなんです。
(それだけで、「朝起きるのがラクになった」「目覚めたときの気分が変わった」「肩が軽くなった」とおっしゃるクライアントさん、けっこう多いんです)

たくさん我慢をしてきた心やさしい人ほど、
怒りを抑え込んで、うらみつらみの妄想を抱えていたりするんです。

溜め込んでいるから、こうなってるだけですよ。
性格が悪いわけじゃ、ぜんぜんありませんからね。

しんどい感情をいつも感じているとしたら

もうひとつ。
子どもの頃から助けたい誰かがいた人は、「相手の苦しみやしんどさを自分が背負おうとすること」で相手を助けようとすることもあります。

家の中にいつもしんどそうにしている親がいた。
すると、子どもってそのしんどさを自分も持とうとすることがあるんです。
親のしんどい感情、苦しい感情を自分も持とうとすることがあるんです。

しんどい感情、重たい感じを自分も持つようになる。
家の中にあったしんどい感じ、重たい感じを自分も持つようになる。

もしいま、しんどい感情や重たい感じをいつも感じているとしたら。
それは子どものころに家族を助けようと思って抱え込んだ、しんどさかもしれません。

ずっとそんな助け方をしてきたのかもしれません。
もしかしたら、同じしんどさを抱えることで家族とのつながりを感じてきたのかもしれません。
だけど、この助け方をそろそろ終わりにしてもいいのかもしれません。

犠牲は、やがて限界がおとずれる

子どもの頃に家族に問題が起こった時
家族を助けたい気持ちを持った「やさしい自分」がいます。

だけど、子どもだから助けることってできないんです。
子どもじゃなくても、誰かを助けることってできないもかもしれません。

だけど、家族を助けたい気持ちが強い分だけ
「家族を助けたかったのに、自分には何もできなかった」
という気持ちが残ります。

無力感、失敗感、罪悪感を抱えるようになってしまうんですね。
これらの気持ちを抱え続けていると、それを埋め合わせたいという気持ちが働きます。

そして、助けが必要な人、何らかの問題を抱えている人が気になってしまって、そういう人たちを助けたり、役に立つことをしようとしたりするんですね。

Aさんの物語では、きょうだいを自分が背負うことで、
子どもの頃に感じた無力感、罪悪感を埋め合わせようとしました。

繰り返しになりますが
助けることや、役に立とうとすることは、悪いことではないんです。
助けたい気持ち、役に立ちたい気持ちがあるということは
与えたい気持ちをいっぱい持っている、ということだからです。

ただ自分を犠牲にしていると、燃え尽きたり、うらみに思ったり、くたくたになったり、何のために生きているのかわからないという絶望感を抱えたりしやすくなってしまうんですね。
心やさしい人でも、自分を犠牲にしているとうらみつらみの気持ちに飲み込まれてしまうんです。

犠牲から何かをしても、本当の意味で与えることにはなりません。

助けよう、役に立とうと思ってやっていること自体は、いいことだとしても
本人がしんどい気持ちになってしまっている。

しんどい気持ちからやっているので、
「やってよかった」と思えないし、
「このしんどさが続くのか」と思うと耐えられない気持ちにもなります。

「自分を幸せにしない助けたいマインド」をひも解いていくと。
こんなことが見えてくるんですね。

それは
「自分を生きられていない」ということです。

本来の自分を生きること

犠牲的な助けたいマインドから行動しているとき
「自分を生きられていない」ことが多いんです。

自分を横に置いて、誰かのためにやっている。
つまり……自分を生きることが消えてしまっているんですね。

Aさんの物語でいえば。
きょうだいを背負う自分はいるけれど。
自分の人生を生きたい自分は、
置いてけぼりになってしまっているんですね。

自分の人生を生きたい自分とは
もっと自由に、飛び回ったりしたがっているかもしれません。
いまの仕事以外の、別のことにも挑戦したいと思っているかもしれません。
ほんとうは恋愛もしたいし、家族だってほしい。
女性としての幸せを生きてみたい、という自分もいるかもしれません。

いずれにせよ
犠牲を生きることで
自分の人生をつくっていこうとする本来の動きから
はずれてしまうんですね。

だけど、誰かを背負って犠牲的に生きているときでも
本来の自分を生きたい自分も、自分の中にいるんですね。

だからときどき、こんな声も聞こえてくるかもしれません。

ほんとうなら自分だって、
ほかの人たちみたいに、恋愛したり、家族を持ったりしたいのに。
ほかの人たちみたいに、誰かに守られながら生きてみたいのに。
ほかの人たちみたいに、海外にだって行ってみたいのに。

ほんとうなら〇〇したいのに。という声。
聞こえること、ありませんか?

自分自身を生きることを横に置いて、誰かのために頑張り続ける。
それをやり続けたら、燃え尽きます。
絶望だってするかもしれません。

この絶望とは、
自分の人生を生きることができない絶望なんですね。

本当は自分だって、好きな人と一緒にいたいし、家を出ていろんなことしてみたいし、家族だって持ってみたい。

だけど、自分の人生を生きようとすると、
親や助けたい誰かから離れなくてはいけなくなる。

それをするわけにはいかない。
だから、自分自身を生きることを自分は諦めた。

だから私はこのまま、何も面白いことのないまま、年をとっていくんだ。
そんな絶望。

自分を生きることをせずに、親のそばにいなくては
自分を生きることをせずに、子どものままでいなくては
自分を生きることをせずに、誰かを背負い続けなくては
自分を生きることをせずに、家族のために成功しなくては。

達成感も充実感も得られず、ただ疲弊してしまう。
そんな燃え尽き感、絶望感。

繰り返しになりますが
この絶望感は
「自分の人生を生きられない」と思っている自分が感じている絶望感だったりするんです。

だけど言葉を変えると。
自分の人生を生きられない絶望感を感じているということは。

自分の人生を生きたい、という気持ちも自分の中にあるということなんです。

家族を助けるために、自分を生きられていない方たちのカウンセリングを通じて感じているのは

本来はこんなふうに生きたい自分
本来はこんなことが好きな自分
本来はこんなことを大事にしていきたい自分
を、ほんとはちゃんと持ってるということなんですね。

いまは抑え込んでしまっていて、自分でもわからなくなってしまっているけれど。
ひとつひとつ、背負ったものを下ろしていくと。

ほんとうはこんなことが好き
こんなことをしてると楽しい
こんなことをつくっていきたい

が、見えてきます。

そのためにも、まずは「助けられなかった気持ち」を完了させていきませんか。
ずっと助けられなかった、助けられなかったという思いを心ん多くに持ち続けてきたのかもしれません。
だとしたら、本当に本当にやさしい子なんです。

自分なりに、やってきませんでしたか?
ぜんぜん役に立たなかったと思っているかもしれないけれど、自分なりにやってきたこといっぱいあるんじゃないでしょうか。
まずはそれをひとつひとつ見つけていきませんか。

面談カウンセリングでは、心理セラピーやイメージワークを用いて、背負っていた重荷を下ろしていくこともするんですね。

心って不思議で、実際に体験してはいないんだけど、イメージの中でそれを疑似体験することで、実際にそうなったかのような感覚を得ることができたりもするんです。
そして、「心の重荷を下ろしてもいい」とか「もう助けなくてもいいのかもしれない」と感じられたりするんですね。

イメージワークを用いてイメージの中で、あのころのしんどそうだった誰か、あなたが助けたかった誰かをラクにしてあげることもできるんです。

カウンセリングでイメージワークをしているとき、みなさん一筋の涙を流されたりするんです。自分のしんどさでは涙が出ない人でも。助けたかった誰かがラクになっていくのを見ているとき、ひとすじの涙を流されたりするんです。

それを見ていて、どれほど相手のことを思ってきたのか。
どれほど相手への想いがあるのか。
それをいつもいつも感じさせてもらっています。
想いの大きさに、ほんとうに心震えます。

だけど、気づいていただきたいことがあるんです。
あなたが助けたかった誰かも、あなたのことを想っているのではないでしょうか。
あなたが相手をラクにしてあげたい、笑顔にしてあげたいと思ったのと同じか、それ以上に
あなたのことを想っているのではないでしょうか。

あなたがあなたらしく、自分を生きてくれることを願ってくれているのではないでしょうか。

もし、この記事を読んで、なにかが心に響くなら。
なにかが心当たりがあるのなら。
自分の中のもう一人の自分の声に、一緒に耳をかたむけてみませんか。

心やさしい人ほど、自分を横に置いて誰かのために頑張ったりするけれど。

自分が自分を生きる
本来の自分を生きる
自分が幸せになる

そんな道を見つけていきませんか。

あなたがまずは自分を幸せにしていけるように。
心の重荷を下ろしていけるように。
いつでも、お手伝いをさせてください。
いつでも、お話聞かせてくださいね。

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この記事の執筆者
中村陽子/心理カウンセラー
中村陽子/心理カウンセラー
4500件以上の個人カウンセリングを行う。婚活がうまくいかない、片思い、異性とお付き合いしたことがない、出産タイムリミットへの焦りなど、女性の生き方のお悩み、人生やり直したい、何がやりたいのかわからないなど自己実現のお悩みを数多くお伺いしています。
私自身、30代後半に子どもがほしいと結婚し、39歳で離婚して、40代前半は諦め&人生迷子のどん底期を味わい、45歳から「50代、60代でも花開く人生」をつくりはじめて、今にいたります。 自分らしい生き方のお手伝いしています。
ツイッター@nakamurayoko70
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