自分らしく生きる~うまくいかない人生から抜けだした最初の一歩
自分の人生、終わっちゃった気がする
もう自分の人生、どこか終わっちゃった感じがする。
毎日、ただ生きているだけで。
もうこんな年齢になっちゃった。もう自分の人生終わっちゃった。
たくさん失敗してきたし、あのときもっとああすればよかったと思うけど。
いまさらもう、取り返しがつかない。
これからどうすればいいんだろう。
だけど、これといってやりたいこともない。
ただただ不完全燃焼感ばかりの毎日で
だけど、何をすればいいのかぜんぜん見当もつかなくて。
私自身、数年前はこんなふうに思いながら、毎日を過ごしていました。
今いる職場がいやだ。
いいように使われているだけで、何も私には残らない。
20代、30代は、いろんなことを失敗しちゃった。
もう40代になっちゃった。
仕事も、結婚も、子どもを持つことも……全部、うまくいってない。
もう、自分の人生が終わっちゃった気がする。
いまさらもう、こんな年齢になっちゃってて。
いまさら、もうどうにもならない。
朝、起きるのが憂鬱でした。
だって、起きたところで何かが始まるわけでもない。
毎日が色褪せていました。
いま私は50歳ですが、35歳~44歳くらいはそんな時期だった気がしています。
30代後半は「結婚して子どもを産めば、シフトチェンジできるんじゃないか」と思っていました。
だけど、子どもを産むことができずにいました。
とくに40歳に入ってから、キツかったことだけ覚えています。
自分に「ないもの」ばかりに気を取られていたんです。
どうして自分にだけ手に入らないんだ。
どうすれば手に入るようになるんだって。
周りと比べては、「ないもの」ばかりに気を取られていたんですね。
ないものばかりに気を取られ、手に入れられない自分を責めている。
今から思うと、それってしんどいよねって思います。
手放すべきは「こうじゃなきゃ、幸せになれない」とか「こうじゃなきゃ、次に進めない」という思いなのかもしれません。
ないものばかりに気を取られて、身動きが取れず、ただただ人生の停滞期にいた私が自分の心がわくわくすることをしてみたら自分らしく生きる道が開けていった。
そんな話です(かなり長文です…)。
人生って、生き方って。変えられるんだろうか
自分を楽しませることを、先延ばししていませんか?
ほんとうはほしいもの、実現したいことがあっても
パートナーができてから。結婚してから。定年してから。
そんなふうに思って、先延ばしをしていることってありませんか?
以前の私は、いろんなことを先延ばししすぎて
超停滞期にいた気がします。
パートナーができたら、こんなことしたいかも。でもいまはいないから。
結婚したら、こんな部屋に住みたいかも。でもまだ結婚してないから。
また行ってみたい場所があるけど、定年してからだよね。いまは行けないよね。
いろんなことをやらないでいた状態が続いていました。
停滞期…楽しいこと、面白いことなんて何もない
停滞期。
楽しいことなんて、なくて。
面白いとかいう感覚もなくなっている。
あたらしく興味を持つことも、ない。
もし、そう感じているなら……。
「ほんとうはやってみたい」と思っていることに手を出してみてもいいかもしれません。
もしかしたら、自分でもわからない理由があって、
やりたいことに手を出せていないのかもしれません。
ちゃんと頑張ってないのに、楽しんじゃいけない気がする。
稼ぎがよくないのに、無駄遣いしちゃいけない気がする。
自分には、分不相応な気がする。
心のどこかにひっかかりがあって、
やってみたいことに手を伸ばせないでいるのかもしれません。
だけど。
やってみたら。
そこから広がりが出ることってあるんです。
詰まっていた何かが抜けるというか、突破口が開けることってあるんですね。
人生の時間が止まってしまっていませんか?
実は私には、そんな体験があります。
ものすごい停滞期にいました。
何も面白くない。仕事のやる気も出ない。以前はあんなに頑張れたのに。
やりたいことと言ったって、別に思い浮かばない。
味気ない日常。
そんな時期でした。
いちばんもがいていた、時期でした。
手に入らないものばかりを見て、手に入らない手に入らないと嘆きながら、どうして手に入らないんだろうって思っていました。
もしかしたら。
先に進まないようにしていたのかもしれません。
人生に、怒っていたのかな?
「なんなんだ、どうしてこんなふうに報われないことばっかりなんだー」って。
そうやって人生に怒っていたから
「もういいっ」って自分の人生を放り投げて
諦めの中にいたのかもしれません。
だけど。
ほんとは諦めたくなんてなかったんです。
自分の人生を諦めたくない私が、ちゃんと私の中にいたんです。
私の場合は、自分にやりたいことをさせてあげること。
それが、諦めの時間から抜け出すきっかけになりました。
諦めていた人生から抜け出して、自分らしくいきいきと、生きたい自分を取り戻す最初の一歩になったのです。
心のままに、したいことをしていいと許可を出す
私は、旅が好きでした。
学生の頃からバックパックをかついで、どこにでも行きました。
人があんまり行かないような場所に、いつも好んで行きました。
だけど40歳を過ぎたころから、もう行きたいところがないような気がしていました。
もういまさら、バックパッカーする年齢じゃないから。
いつまでそんなこと、やってるの?
自分でこう思ってしまったからなんです。
ある日。ふと手に取った一冊の本が、停滞感を打ち破るきっかけを与えてくれました。
それは探検家の本でした。
とんでもない旅をする探検家の本でした。
そこに、写真が載っていました。
チベットの湖の写真でした。
「ここに行きたい」と思った。
そっか。行きたいところまだあった。
そっか。行きたいところに行っていいんだ。
そっか。自分の心が求める場所に行っていいんだ。
写真を見て、そう思ったのです。
自分の心が躍ることって、なんだろう
昔、学生の頃に密入国?してチベットに行ったことがありました。
1カ月くらい、過ごしました。
めちゃめちゃ標高が高くてね、富士山よりも高くてね。
毎日、雲を眺めて過ごしました。
いつかまた行きたい。
あのころ、行けなかったけど。もっと行ってみたいところもあったんです。
だけど、久しぶりに行きたいって思ったこのときは、チベットに行くことはできませんでした。
代わりの場所を探しました。
それは私の好きな、空の近い場所でした。
行ったのは……南米ボリビアのチチカカ湖。
Isla del Solという太陽の島と呼ばれる、湖の中にある島に行きました。「空に近い場所に行きたい」という私に、友達が教えてくれた場所でした。
飛行機に30時間以上乗りました。バスに3時間乗って、そこからボートに乗って…。
ようやく着いたその島は、とてもとても空が近い場所でした。
その島は。
階段を登っているだけで息切れがしました。
湖の水面が、標高3800メートル。
着いて早々、階段なんて登れる高さじゃありません。
一生懸命、階段を登り、坂を上り、ようやくついた宿は
湖の東も西も見渡せる、島のてっぺんにある宿でした。
夜には湖に移った月が見え、朝には日が昇るのが見え、夕方には日が沈むのが見える
それはそれは最高の場所でした。
宿の人が、島に遺跡があると教えてくれました。
何もすることがなかったから、遺跡に行くことにしました。
3、4時間は歩いたんじゃないかな。
遺跡へと続く一本道。
まるで貸し切りのようでした。誰もいなかった。
ひとり、真っ青な空と会話しながら歩きました。
自分の心が躍っているのがわかりました。うれしくて、うれしくて。
空と会話することが、したかったのだと思います。ずっと。
空に近い場所で、空と会話がしたかった。
だけど、それを自分に許可して来なかったんです。
旅なんて、ただの趣味だからって。
仕事はどうなってるんだ。
キャリアはどうなってるんだ。
家族だって、持ててないじゃないか。
ほかにやらなきゃいけないことが、あるはずだ。
そうやって
自分の心が躍ることをずっと後回しにしてきたんです。
でも、空と会話しながら歩いたとき、自分の心を取り戻した気がしました。
そうだ、これをしてよかったんだ
そうだ。
これをして、よかったんだ。
自分の心が喜ぶこと、してよかったんだ。
空が近いその島は日差しがとても強く、日焼け止めを塗り忘れた手の甲が真っ赤になってしまったけれど。
ずっとこれがしたかったんだ。
空と会話するなんて、何の生産性もないことだけど。
自分にとってはとても大事なことだったんだ。
だって、それが好きだから。
それだけだけど。大事なこと。
そうだ、これが好きだったんだ。
心躍らせながら道を歩いたそのときから、人生の流れが変わり始めたのです。
好きなことをしていい、自分の心が躍ることを自分に与えていいんだと
自分に許可を与える第一歩になったのです。
感謝ノートで「ない」から「ある」へ
この旅に持っていった本がありました。『ザ・マジック』(ロンダ・バーン著)という本です。
引き寄せの法則を世に広めた『ザ・シークレット』の著者であるロンダ・バーンが、
自らがやってみたことで、一番効果があったこと。
それは「感謝」なのだそうなんです。
感謝のテーマが28日分あって、それを毎日コツコツやっていく。そんな本です。
朝ごはんを食べながら毎日書きました。
こんなの書いてどうなるんだろう?って、最初は思いました。
だって、感謝できることがぜんぜん思い浮かばなかったんです。
だから、とにかく小さなことでも無理やりにでも、感謝できることをひねり出しました。
・こうして旅に出て、気持ちのいい朝を迎えることができています。ありがとうございます。
・朝ごはんをおいしく食べることができています。ありがとうございます。
・おいしいお水を飲むことができています。ありがとうございます。
・きれいな空が見られて幸せです。ありがとうございます。
そんなレベルからのスタートでした。
だけど、何日か、書き続けているうちに見えてきたんです。
あれ? 自分には何もないって思ってたけど。
家族、彼氏、持ち家も、安定した仕事もないって思ってたけど。
でも、あった。
私のことを思ってくれる人たちが、周りにこんなにたくさんいた。
こんなにも、たくさんの人に気にかけてもらってた。
昔の彼にも、いっぱい愛情をもらってた。
仕事もあるよね。
住む部屋もあるよね。
食べていけてるよね。
こうして旅行もできてるよね。
これもすべて、周りの人たちから与えてもらっているからだよね。
ふと、そんな気持ちになったんです。
ないと思っていたものが、あるに変わった。
そんな体験になりました。
この「ない」が「ある」に変わった体験は、とても大きなものでした。
それまでは
苦労して当たり前
ハードワークして当たり前
自分にいいものなんて与えてはいけない
と思って生きていました。
それが自分のパターンだったんですね。
そのパターンから抜たけたのは、もう少し先の話になるのですが
それでも、生き方が大きく変わる転換点になりました。
心躍らせて歩いた道が
心躍らせて空と会話した時間が
もっと心躍らせて生きていいという許可を与えてくれたのです。
自分がほしいものを、ほしいと思っていい
ほしいものリストも10個を書いてみました。
「こんなの書くの初めてだな」って思いました。
湖に居たから。
水辺の風景が眺められるすてきな家で暮らせること
って、書いた気がします。
そして思ったんです。
「そうだ、ほしいって思っていいんだ」って。
ほしいって、思ったことなかったな。
だけど、ほしいって思ってよかったんだ。
そう、思ったんです。思っていいんですよね。
こんなふうに生きられたらいいなって。
自分で望んでいい。
自分から、こんなふうに生きたいなーを。
望んでよかったんです。
こんなふうに生きたいは、きっと心の中にある
心の奥に「こんなふうに生きたい」という願いを
みんな持っていたりします。
だけど、心の奥にありすぎて、なかなかその気持ちとつながれていないんです。
それよりも
あれしなきゃいけない、これしなきゃいけない。
こう生きるべき、ああ生きるべき。
なのに、あれがない、これがない。うまくいかない。
こんな自分はだめだ。
と、思いながら生きていたりします。
だけど、いろいろなマインドを通り越した向こう側に
「ほんとうはこんなふうに生きたい」という願いを持っていたりするんです。
はじめて書いたそのリストは、人のまねして書いたものだったから。
自分がほんとにほしいものが書かれていたわけではなかったかもしれません。
だけど。
願っていいんだ。
ほしいって思っていいんだ。
そう思えたことが、画期的だったのです。
祈りの力。祈りながら、自分の願いとつながる
その旅の最終日。教会に足を踏み入れました。
生まれて初めての教会。
きっかけは。
昼間に行くと参観料を払わなきゃいけないけど。
朝のミサなら必要ないよって、宿のおじさんに聞いたことでした。
ミサか~。
よくわかんないけど。行ってみよ。
早起きして行った教会で、地元の人に紛れてスペイン語のミサを聞きました。
すみません。ぜんぜん信者じゃないんです。ただ来ちゃっただけなんですって思いながら。
でもみんな温かく迎え入れてくれました。
ミサが終わってから。
地元の人たちが、熱心に祈っていました。
私もやってみたいな、って思いました。
真似して祈ってみたのです。
ひざまずいて祈りの姿勢をとると、最初に浮かんだ言葉がありました。
「人のために、自分の力を活かせますように。悩んでいる女性たちが、いきいき生きるお手伝いができますように」
1時間くらい、ずっと祈っていた気がします。
神さまに向かって、自分の願いを一生懸命伝えてみたんです。
これが。
私にとって人生を変える時間になりました。
自分の願いを一生懸命、神さまに伝えることを通じて
自分が何を願っていたのか、
何がしたかったのかを取り戻すことができたのです。
祈りって。
自己との対話なんです。
自分の深いところにいる自分との、対話なんです。
神さまに向かって伝えるんだけど。
自分の深いところとの、対話なんです。
神さまお願い。
そう思ったとき。
ふと頭に浮かんだもの。
それは、「どうか自分の力を活かせますように」ということでした。
祈ってみて、自分で気づきました。
誰かのために、世の中のために、こんなにも自分を活かしたいと思っていたんだなと。それが、私の一番やりたいことでした。
だけど、失敗が続いて、諦めてしまっていたんです。
もういいや、どうせ無理だって投げ出してしまっていたんです。
自分を誰かのために活かしたい。
その想いに蓋をしていたのがつらかったんです。
だから、毎日が色褪せてしまっていたのです。
情熱をあきらめて、フタをしていませんか?
それほどまでに、人というのは自分の力を活かしたいと思っているのだと思います。
自分を誰かのために活かしたいと思っているのだと思います。
人は、誰かを愛したい生き物だから。
その想いに蓋をするのは、つらいんです。
だとしたら、蓋をあけること。
自分の想いをもう一度、取り戻すこと。
それが、止まってしまった人生を進めるカギなのかもしれません。
あなたのなかの情熱を外に出せずにいることが、つらいのです。
あなたのなかの情熱をほんとは外に出して、いいんです。
昔、諦めてしまったことがあったとしても。
だけど、もう一度。
その情熱を取り戻し、情熱を生きていいんです。
自分の願いとつながると、人生が動き始める
祈ることを通じて、自分の願いとつながったことで、
そこから、動き始めたんです。自分の人生が。
そのときは、具体的なプランなんて思い浮かばなかったけど。それまでとは、大きく変わっていったんです。ほんとにやりたかった方向に、舵を切り始めたのです。
「そうだ。これがやりたかったんだ。
こんなふうに生きたかったんだ」
それらの思いにつながったとき、そちらの方向に向かい始めることができます。
そのためにも
自分の心が喜ぶ生き方をしてもいい、と
自分の心に言ってあげるといいかもしれません。
すると、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながらも
自分の生きたい方向に、歩みを進めていくことができるんです。
いま手にしているものが、自分が望んだものだとしたら
いま自分が手にしているものは、自分が望んだもの。
そんなふうにも言われます。
え? ひとりの生活なんて望んでないよ。
そう思ったとしても、自分の心の奥の潜在意識や無意識で、そう望んでいるのかもしれません。
だけど、変えていけるんです。
いま手にしているものが、自分の潜在意識や無意識で望んだ結果なのだとしたら。
自分の心の向け方を、変えていけばいいのかもしれない。
そう思うことで、自分の人生を自分で描くことができるようになっていくんです。
自分の人生をどんなふうに生きたいのか。
ちゃんと描いたり、望んだりしたことなかったんだな。
例えばそう気づいたなら。
その時点で、変えていくことができるんです。
まずは「こんなふうに生きたい」と思うところからスタートできるんです。
そしてこのとき、「○○が手に入りますように」じゃなくて、「自分の力をどんなふうに使っていきたいか」を思い描くといいかもしれません。
自分をどんなふうに使っていきたいか。
それは
誰かのためにおいしいご飯を作ってあげたいってことかもしれないし。
自分の魅力を表現することかもしれないし。
心温まる場をつくっていきたいということかもしれないし。
誰かを応援したいってことかもしれないし。
自分の情熱をどんなふうに使っていったら、心が満たされるんだろうって。
思い描いてみるといいんです、自由に。
自分の人生で、うまくいっていない分野はどこですか?
その分野で、
「どうかこんなふうに生きられますように」
「どうかこんなふうに誰かを愛せますように」
と祈るとしたら。
どんなことを祈りたいですか?
心底もう嫌だと思った。だから、人生変えられた
すべてをむなしく感じたり、自分の生き方を全否定したくなったり、
絶望に飲み込まれそうになったりすることってあるかもしれません。
でもそれは、人生を大きく変えるために味わう感情なのかもしれません。
もう嫌だ、どうにもならないくらいにもう嫌だ。
それらの感情は、自分のこれまでのやり方を変えるために味わっているのかもしれません。
心底、もう嫌だと思った。
だから、変わった。
それまでの自分では、もう進めなかった。
だとしたら、自分を変える、生き方を変える。
そんな時期にいるということなのかもしれません。
生まれ変わる時期なのかもしれません。
したいことをしていいと自分に許可を出す。
自分らしく生きるはじめの一歩を、私はそんなふうに踏み出しました。
自分の心が喜ぶことを、自分に与えることを許可します。
自分の心が喜ぶ生き方を、自分にさせることを許可します。
そんなところから、一歩が始まるかもしれません。
自分を幸せにする準備ができています。
そんな言葉も、何度も何度もつぶやきました。
一歩の踏み出し方は、人それぞれ、いろんな一歩があるでしょう。
だけど。
まずは踏み出してみようと思うこと。
すべてはそこから始まるのだと思うのです。
もう頑張れないとき。人生の転機を呼び込むチャンスにする
走り続けてきた私が、自分のために生きるために
女として生きてこれなかった私。