もしすべてが<自分本来の力>を表に出すために、起きているのだとしたら

中村陽子/心理カウンセラー

最近、よく思うんです。
生きてきた道のりの中にあるもの、あったものを
ひとつひとつ拾っていくのって大事だなって。

自分の生きてきた道のりの中で
特に、凹んでいる部分ってあったりするじゃないですか。

そこの意味を見つけていくことの持つパワーって
めちゃめちゃあるなと、思うんです。

人それぞれ、生きてきた中で「谷の時期」ってありますよね。
凹んでいる、落ち込んでいる、最悪に感じた、動けなかったそんな時期。
そして、谷の時期に<ネガティブな自己イメージ>を抱え込んだりするものです。
多かれ少なかれ、みんなそう。

そして、抱え込んだ<ネガティブな自己イメージ>を補わなきゃと思い
頑張る自分をつくりあげたり、人当たりのいい自分をつくりあげたり
おとなしいキャラになってみたり、失敗を取り戻そうと走り続けたり・・・
しているものなんですよね。

それで、あるとき
なんかもう頑張れないとか
このままだと、何かがしんどいとか
人によっては燃え尽きたり、病気になったり、別れがあったりして
抱え込んだ<ネガティブな自己イメージ>に、向き合い始めたりします。

抱え込んだ<ネガティブな自己イメージ>って、最初のうちは見れない。
見ることが、できなかったりするんです。

見たくないから、蓋をしてきたのか。
蓋をしているうちに、どんどんグレーになっちゃったのか。
よくわからないんだけど。

そのくらい
最初に蓋をあける手前って、大変だったりするんですよね。
ほんと、手前が一番大変。

だけど、いったん蓋をあけてみると。
それが、誤解だったことに気づきます。

自分につけた×印。

その×印をつけたのは
「もっとこうしたかった(のに、こんなふうになっちゃった)」
「ほんとだったらこうだったらよかった(のに、こんなふうになっちゃった)」
という想いが、あるからなんですね。

もっとこうしたかった
ほんとうだったら、もっとこうだったらよかったのに
というところに、自分の愛がある。

こうしたかった、これをあげたかった、喜ばせたかった、助けたかった、仲良くしたかった・・・
そんな愛がある。

だけど、できないほうを見てしまう。
そして「できなかった」と×印をつける。

×印をつけた分だけ、本来の自分を出せなくなる。
そして、本来の自分を出せなくなっている分だけ
何かがちがう、何かがしんどい、何かが生きづらいと感じる。

つまり
×印をつけているところに
本来の自分らしさや、その人の才能・ギフトがあったりする
っていう、話なんです。

そして
本来の自分らしさ、才能・ギフトを使えていないので
なんか違う、なんかしんどい、なんか生きづらいと感じるわけで

つまりは
「出たいよー、そろそろこれ使いたいよー」と
心の奥が呼びかけているということでもあるんです。

だから
谷の時期に抱え込んだ<ネガティブな自己イメージ>の蓋をあけていくことは
本来の自分らしさ、才能、ギフトとつながっていくプロセスでもあるんです。

そしてそれらを
与えていく。
周りに、社会に、世界に。

それにより「自分を生きている感じ」がしてきます。
心が満足するっていいますか。


自分で自分にOKを出せるんです。
自分が本来持っているものを活かせるようになるから
自分で自分にOKを出せるようになるんです。

人は、本来自分が持っているものを使えないでいることが、しんどいようなんです。
本来持っているエネルギーを抑えて、活かせないまま、過ごしていることって
しんどいようなんです。

本来持っているものを使えていないこと自体で
×印をつけてしまうこともある、自分に。
ぜんぜん、できてないじゃないか!!!って。

そのくらい
本来的には、(愛を)与えたい生き物みたい。

だから
本来の自分のエネルギーを使えるようになる。
蓋やら抑圧やらを外して、使えるようになる。

そうすることで、心が満たされる。
自分にOKを出せるようになる。
そして、周りにもなんらかの形で喜んでもらえたり、役に立ったり、貢献できたりする。

いったん、この流れができていくと。
だんだんと、深化もしていきます。

最初にやり始めたことから、次、そして次へと
だんだん深化していくーー。

こんなふうに聞くと
ついつい「深化の奥のほうにあるもの」を最初から見つけられないのかなって
思ったりするかもしれないけど。

これらは、手を伸ばしていく中で、やっていく中で
だんだんと、出会い、深化していくもののようなのです。

だから、いまあるもの、いまできることを、まずやる。
いま、目の前に出てきた興味のあるもの、なんだか知らないけど惹かれるものに手を伸ばす。
その一歩が、大事。

このなんだか知らないけど惹かれるものに手を伸ばしていくうちに
だんだんと深化して、どんどん自分らしい生き方の流れができていく。
シンクロニシティって、このことを指して言ってるんじゃないのかな。


で、最近、感じていること。
まだ、うまく言葉にならないのですが。

谷の時期の意味は、何層にもなっていて。
その時期の意味を見つけるたびに、深まる感じがあるのです。

あるときは
あの一番凹んだ谷の時期があったからこそ、今がある。
谷の時期には、感謝しかない。
そう、心の底から、思った瞬間がありました。

マイナスに思えていたものは、プラスしか、なかった。
あのころ「なくなった」と思ったものは、なにひとつなくなっていなくて。
プラスしか、なかった。

たとえば
進学校を辞めちゃって、ぷー太郎になっちゃった16歳。
みんなと同じように高校に上がれなかった。
学生という肩書きがなくなって、どうしていいかわからなくなった。

あのころの16歳の自分は、「ぜんぶ、なくなってしまった」と思ってたけど。
人生壊しちゃったと思ってたけど。

実は、何もなくなっていなかった。
友達から離れたけど。学校やめても、友達は友達だと思ってくれてた。
大検受けて大学行けた。学校辞めたけど、頭の回転が悪くなったわけでもなかった。
高校行けなくて、がーんとなったけど。バイトして、生活できるくらいは自分で稼げるんだと知って。生きていける力があるんだって、知れた。

なくなったのは「◯◯校の高校生」という肩書きだけ。

なーんだ、そうだったのか。
なんも、なくなっていなかったのか。

と。
こう気づけたときは、目から鱗が落ちました。
えええっ。
なんも、なくなってなかったじゃんって。

生きる力があるってわかったり
自分で自分の道を切り拓いたり
してたんだな。

ということは、プラスってこと?
何もなくなっていなくて、逆に増えてた!
目から鱗。

見方によっては
自分で道を切り開く力が強くあったから
早々に殻を破り始めた
とも言えるわけです。

「こんなふうに生きることを期待されている自分」
「期待に応えようとする自分」という殻を破るために
起こした出来事だったんだろうな、と。

まあ、こんなふうに思えるようになるまでに
ちょっと時間はかかりましたけど。

学校や会社など、所属している場に居られなくなるパターンは
その後も何度も繰り返され
「なんでこんなことが起こるんだ」とガーンとなっていたのですが。

「自分で道を切り開く力がある」「自分の生き方をつくる力がある」
という視点で捉えてみると
「居られなくなるパターン」として捉えていたころは見えなかったものが
見えてくるようにも、なりました。

なんだ。
組織の外にいるほうが、うまくいくってことか。(自分の場合)


こんなふうに谷の時期の意味を何度か掘り下げることで
どんなふうに生きていくのがいいのか
腑に落ちるキーワードに出会えたりします。

ちなみに、「そっか〜」と腑に落ちるまでに
かなーり長い年月、かかりましたが。笑

そして、こうやって
「そっか、こういうことだったのか」
「これをするためだったのか」と腑に落ちるものを見つけるたびに
それを、自分の力に変えていけたりするんです。

「ああなったのは、こういう意味があったのか」と腑に落ちる一方で

中学にしても、会社にしても。
楽しかったし、みんなと一緒にいたかったんだけどなー
という思いも、あったりします。

その分だけ
「みんなと一緒にいたかったなー」という想いを抱けるようになりました。
実はこれ自体も、自分にとっての価値。

想いって、すごく価値あるものなんです。
想いがあるから、何かを生み出すことができる。

あったらいいのに、ほしかったなと想ってきたからこそ。
生み出せるものがある。

これも、自分が世界に与えることができるものなんです。

みんなと一緒にいたかったー(けど、できなかったー)
を、ちょっと転換して
みんなと一緒にいたかったー、から、一緒にいられる場をつくろう。

こうちょっと転換すると
自分が世界に生み出したいもの、与えたいものになっていくんです。

谷の時期のなかにこそ、いろんな贈り物が隠れている。

それは、ひとつではなくて。
あ、これもあったのかと。
気づくたびに、またひとつ、またひとつと豊かになっていくものだったりします。

そして、自分のこれまで生きてきた道のりの中にあるものに
気づいて、自分なりに意味を見出して、それを世界に還元していく。
それをすればするほど、納得感が生まれてくるんですよね。
生き方の納得感。

最近、個人的に気になるようになってきた言葉があります。
calling

何度も目にしてきた言葉だけれど
最近になって少し身近になってきた気がします。

つかみに行きたい、って感じでもなくて
つながれるといいなー、という感じ。

まだうまく言語化できなくて、なので最近、ぐるぐるしてるんですが。
どこかで、ふと、腑に落ちる瞬間が訪れたらいいなーと思っています。

ということで。
もしすべてが<自分本来の力>を表に出すために、起きているのだとしたら。
そんな視点で、自分の生きてきた道のりを見ていくと
いろんなギフトや才能、生み出したいものに気づくかもしれません。

そして、気づけば気づくほど
自分本来のエネルギーの使い道、注ぎ方が見えてくるかもしれません。

ほんとそのくらい、自分のエネルギー使いたいんですよね。
そして、自分のエネルギーをいい感じに使えてるなと思えたとき
自分も周りも、いい循環が回り始めている。

自分のエネルギーの使い道、生み出したい世界。
それらを見つけていく、掘り出していく、生み出していくお手伝いができたら。
とてもうれしいです。

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この記事の執筆者
中村陽子/心理カウンセラー
中村陽子/心理カウンセラー
4500件以上の個人カウンセリングを行う。婚活がうまくいかない、片思い、異性とお付き合いしたことがない、出産タイムリミットへの焦りなど、女性の生き方のお悩み、人生やり直したい、何がやりたいのかわからないなど自己実現のお悩みを数多くお伺いしています。 30代後半に子どもがほしいと結婚し、39歳で離婚して、40代前半は諦め&人生迷子のどん底期を味わい、45歳から「50代、60代でも花開く人生」をつくりはじめて、今にいたります。 自分らしい生き方のお手伝いしています。 ツイッター@nakamurayoko70
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