子どものいない生き方

自分には何もない、子どももいない、居場所もない…の先にあるもの

中村陽子/心理カウンセラー

自分には何もない。
みんなが当たり前に手に入れているものが、自分には手に入っていない。

そんな気持ちになるとき。
あなたは「みんなが手に入れているもの」の中に、何を見ているでしょうか。

みんなは、当たり前のように家族がいる。
みんなは、当たり前のように夫がいたり、子どもがいたりする。
みんなは、当たり前のように居場所を持っている。

たとえばこう思うとき、その中に何を見ているのでしょうか。

ある女性の話。
40歳を超えたあたりから、急に、家族連れが目に付くようになった。
子どものいるファミリーを見ては、自分にはどうしてあれがないんだ、どうしてあれが手に入らないんだと思っていた。
ちょっと前までは、家族連れの姿なんて、別に目に留まらなかったのに。
急に、なんで自分にはあれが手に入らないんだって思うようになった。

当時は
手に入らないことの何がしんどいのか。まるでわからなかったけど。
夫や子どもがいれば、自分の土台ができて、居場所ができて、安心感が持てるんじゃないかと思ってたけど。

夫や子どもさえいれば……という発想は、ちょっと違っていたなと思うのです。

夫や子どもがいれば、居場所ができたり、土台ができたり、安心できたりするんじゃないかというのは、実はちょっとした罠(ワナ)でした。

〇〇さえあれば。
〇〇さえ手に入れば。

こう思っているとき、自分が満たされるか満たされないかを決定づけるのは
「外側にあるもの」です。

〇〇が手に入れば、自分は満たされる。
〇〇が手に入らなければ、自分は満たされない。

〇〇が手に入るか、入らないかで
自分が満たされるか、満たされないかが決まってしまう。

つまりこれは
「外側にあるもの」に、自分が満たされるかどうかを託している状態
自分が満足するかどうかを、外側に明け渡している状態
です。

満たされなさを感じているとき。
この罠に、けっこうはまってしまうんです。

この罠?
そうです。
「外側にあるものによって、自分が満たされるかどうかが決まる」という罠です。

この罠にはまっているときは
夫がいない自分は、満たされない。
子どもがいない自分は、満たされない。
〇〇が手に入っていない自分は、満たされない。
と思ってしまいます。

だけどこれ、ちょっと違うんです。

満たされていない感じ、満たされなさ。
これを感じているとき。

自分の愛や情熱、エネルギーを止めているのがつらい――
ということなんです。

「自分の外側にあるもの」が原因ではなくて
「自分の内側にあるもの」を止めてしまっている、注げていないのが理由
なんですね。

意味、わかりませんけど?

自分には居場所がない。

たとえばこう思っているとき。
家庭や会社という居場所がある人はいいよな、と思います。

居場所というものが、自分に居ていいという許可を出してくれる。
それを持ってる人たちは、いいな。
と感じます。

だけど、居場所というものが最初からあるわけではないんです。
高級デパートに「居場所」が売っていて、それを手に入れられる人と、手に入れられない人がいるわけでは、ないんです。

居場所が、なぜできるのかというと。
自分から愛や情熱、エネルギーを注いでいくからなんです。
場や人に、自分から愛や情熱、エネルギーを注いでいくからなんです。

自分から、場や人に
愛や情熱、エネルギー、好き~という気持ち、楽しい~という気持ちなどなどを
注いだ分だけ

居場所を感じられるんです。
自分がそこに注いだから、居場所を感じられるんです。

自分がそこに、何も注いでいないとき。
遠慮がちに、ただ見ているだけのとき。
自分にとっての居場所だ、と感じられません。
自分なんて、ここには必要ないんだよねと感じます。

だけどそれは
自分から、何も注いでいないから
なんです。


自分は誰にも、必要とされている感じがしない。
自分は何のために生きているのかわからない。
それが悲しい。

もしそんな感覚があるのだとしたら。
愛や情熱、エネルギーを注ぎたいけど、それができていないのが悲しい、つらい、しんどい
ということかもしれません。

もしかしたら、こんな思いが出てくるかもしれません。
注いでいいという許可を、もらってない。
誰かが、注いでいいって許可してくれたら、注ぐこともできるのに。

だけど、こう思っているかぎり
遠慮がちに見ているだけ
傍観者
になってしまうんです。

だってほんとうは、遠慮がちに見ているだけなのが、つらいんですよね。
自分の愛や情熱、エネルギーをもてあましているのが、つらいんですよね。

遠慮がちに見ているだけなのがつらいということは
自分の愛や情熱、エネルギーを注ぎたい、という気持ちがあるってことですよね。

好きなものを好きと思っていい。
自分の情熱を注いでいい。
自分のエネルギーを注いでいい。

もし、注いでいいという許可をする誰かがいるとしたら。
それは、自分自身かもしれません。

自分の中の愛や情熱、エネルギー、好きという気持ちを
止めているのが、つらいんです。
止めているから、自分らしくいられていない。
自分らしくいられていないから、つらいんです。

自分の中の愛や情熱、エネルギーを注ぐことを止めているとき
自分の「外側」に、求めます。
「これが手に入れば、安心できるんじゃないか」「これが手に入れば満たされるんじゃないか」と、外側に求めます。

だけど、外側に求めても、埋まらないんです。
満たされなさは、埋まらない。

満たされなさを埋めるのは、
自分の内側のストッパーを外して
自分の愛や情熱、エネルギーを注いでいくことなんです。

ストッパーって、どうやって外れるんですか?

注ぐこと、です。
注ぐこと、で外れます。


自分らしい生き方をするコツがあるとしたら
自分の愛や情熱を注いでいくことなんだよな、って思うからなんです。

愛するもの、自分の愛を注ぐ対象がないつらさを
子どものいない女性は感じていることが少なくないから、なんです。

どうして自分には、みんなが持っているものが手に入らないんだろう。
自分が当たり前のように手にしている家族を、自分は持てないんだろう。

これを言い換えるとするなら

どうして自分には、愛する者がいないんだろう。
どうして自分には、愛を注げる対象がいないんだろう。
みんなは当たり前にもっているのに。どうして自分は持てていないんだろう。

ということなのかな、と思うんです。

愛するものがいないのが、つらいとするなら。
愛や情熱を自分の中に秘めている、ということなんです。

自分の中の愛のタネ
自分が世界に注ぎたいもの
あなたの中にもたくさんあるのではないでしょうか。

もしかしたらこれまで、自分の中に押しとどめてきた
女性性も、あるかもしれません。

あなたはどんなふうに愛したい人なのか。
見つけていきませんか。

もし
自分には何もない。
自分にはみんなが持ってるような家族がいない。
自分はこれから何をしていけばいいんだろうってよく思う。
という気持ちがあるなら。

なんらかのヒント、見つかるかもしれません。

・子どものいない生き方を、どんなふうにつくっていけばいいんだろうと思っている。
・自分をどんなふうに活かしていけばいいかを見つけたい。
・子どもをもつか、もたないか。まだわからないけど。
 自分だけのために生きていることに、なんかむなしさを感じている。
・子どものいない生き方をするにしても、子どもをもつ生き方をするにしても。
 いま、道を見失っているかもしれないと感じている。
・母親との関係について、見直したいと思っている。
・自分の大切な想い、自分の愛のタネを見つけたい。
・自分の愛やエネルギーの注ぎ先を見つけられたらいいなと思っている。
などなど

もしこんな気持ちがあるのなら。
あなたの中に、注ぎたい何かがあるけれど、それが注げていないしんどさなのかもしれません。

あなたの大切にしたい想いに気づいて、
あなたの愛と情熱のタネを見つけて、
あなたをこの世界に与えていく生き方の
さらなる一歩を見つけていきませんか。

あなたはこの世界に何を注ぎたい人ですか? 子どものいない生き方
この記事の執筆者
中村陽子/心理カウンセラー
中村陽子/心理カウンセラー
4500件以上の個人カウンセリングを行う。婚活がうまくいかない、片思い、異性とお付き合いしたことがない、出産タイムリミットへの焦りなど、女性の生き方のお悩み、人生やり直したい、何がやりたいのかわからないなど自己実現のお悩みを数多くお伺いしています。 30代後半に子どもがほしいと結婚し、39歳で離婚して、40代前半は諦め&人生迷子のどん底期を味わい、45歳から「50代、60代でも花開く人生」をつくりはじめて、今にいたります。 自分らしい生き方のお手伝いしています。 ツイッター@nakamurayoko70
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