子どものいない人生〜45歳からの新しい物語の始め方

街を歩いていて、小さな子供を連れた家族を見ているだけで、胸がチクチクと痛む。日曜日に街に出ると、子連れのファミリーばかりが目に付いてしまう。
職場に、産休中の女性が生まれた赤ちゃんを見せに来たとき、誰にも気づかれないように部屋を出てしまう。
「うわ~、かわいいわね~」とお母さんと赤ちゃんを囲んでいる輪の中に入っていけない自分のことを、心が狭く感じる。
もしかしたら、こんな経験をされた方もいらっしゃるでしょうか。
40代後半を過ぎて「もう子どもを持つのは無理だな」そう思い始めた。
そのことを受け入れつつも、それでもまだ心のどこかにざわつきを感じている。
今日は、そんなあなたに向けて書いています。
ひとりで抱えていませんか?
子どもがほしかった。
子どもがほしいと思わなかった。
人それぞれ、いろんな思いがあるものです。
だけど。
子どもがいないことの胸のうちを、誰にも話すことなく、自分ひとりだけで抱えていることって、多いように感じています。
子連れファミリーの姿を見たり、子どものいる人の中にいると、なんか心がチクチクする。
友達や同僚に子どもが産まれたと聞いても、素直におめでとうって言えない自分が嫌になる。
子どもを育てていない自分は、人として何かが足りないんじゃないかと思ってしまう。
親に孫の顔を見せてあげられないことを、申し訳なく思ってしまう。
子どもがいないということに、いろんな思いを抱いたりするものだけど。
「こんなふうに思っているのって、自分だけなんじゃないか」
「こんなことを思ってるのを、人に知られてはいけない気がする」
そんなふうに感じて、自分ひとりで抱えていることって、少なくないんじゃないかと思うんです。
だって。
言えないじゃないですか。
産休中の女性が職場に赤ちゃんを連れてやってきて、「うわ~、かわいいわね~」ってみんなが言っている中で、祝福なんてできない自分を知られるわけにはいかないって、思っちゃったりするじゃないですか。
時短で帰る子育て中の同僚に、こころよく「おつかれさま」って言えない自分を悟られてはいけないって、思っちゃったりするじゃないですか。
子供のいる同僚や友達と一緒にいるときに、「あの人たちはいいよね」って思う気持ちがあるなんてこと、隠しておかなきゃいけないって思っちゃったりするじゃないですか。
働くママさんを応援しますという世の中に、肩身の狭い思いをしていたり、自分は外れているように感じたりしていること、誰にも話すわけにはいかないって思っちゃったりするじゃないですか。
子どもをもっていない、育てていない自分って、人として何かが欠けているんじゃないだろうかって、そんなふうに思っていること、人に言えないと思っちゃったりするじゃないですか。
子どもがいないことにまつわる心のうちって、なんだか人に話せない。
そんなことって、少なくないんじゃないかと思うんです。
私がはじめて、そう感じたのが10年前。
子どもほしいのに自分は独身で、悶々(もんもん)としていた時期でした。
だから子どものいない元同僚女性を誘って、悶々を聞いてもらったんです。
彼女は当時45、6歳くらいでした。
そしたらそのとき
「私もね、同じようなこと思ってたんだ。
だけど職場ではそんな素振り見せちゃいけないから。
大丈夫なフリ、なんでもないフリしなくちゃいけないから。
言ったことなかったんだ。
中村ちゃん、誘ってくれてありがとう」
って、言われたんです。
そのひとことが、今でも忘れられません。
あれから10年経ったけど。
いまも、ひとりで誰にも話さずに、自分だけこんな思いを抱えてるんじゃないか。
そんな思いを秘めたまま、頑張っている人。
少なくないんじゃないかなって思うんです。
行き詰まりの向こうに見えるもの
行き詰まってしまって、これから先どうしていけばいいのかわからない。
自分の将来なんて、とてもじゃないけど希望が見いだせない。
周りの人たちは幸せそうに見えるけど、自分には何もない気がしてしまう。
生きているとそんな時期って、あるのではないでしょうか。
夜明け前が一番暗いというけれど。
いまのどん詰まり感があるからこそ、自分自身と向き合ったり、ほんとうにこれでいいんだろうかと悩んだり、何かに手を伸ばしたりするんだと思うんです。
そしてそのどん詰まりを抜けたとき、そこには新しいステージが広がっている。そんなことってあるんです。
子どものいない女性の私
「終わった感」からの再出発
40代前半の私は、まさに先の見えない灰色の世界の住人でした。
自分には家族がいない。
結婚していないし、子どももいない。
仕事だって、お金を稼ぐためにやっているけれど、気力的には枯れていて。もちろん正社員じゃないし。
自分の生きてきた生き方は、間違いだったんじゃないか。
だって、いま自分の手元には、何もないんだから。
その中のひとつが、子どもをつくれないことでした。
42、3歳くらいのころが、一番きつかった。
子どもを産むならラストチャンス。
なのに、相手がいないんです。
子連れのファミリーを見るのがしんどくて。
スーパーに行くのも嫌だったほどでした。
子どもほしかったんです。
だけど、いまから思うと
「子どもさえ持つことができれば、自分の空虚感が埋まるんじゃないか。
子どもさえ持つことができれば、これから先の人生に『やるべきこと』ができるんじゃないか。
子どもさえ持つことができれば、自分の人生失敗だったという思いを埋めてくれるんじゃないか」
これらの思いもあったように思うんです。
そのくらい自分を空虚に思っていたし、もう何をしたらいいかわからなくなっていたし、自分の生きてきた道を失敗だったと思っていたんですね。
「子どもがない」は
「何かが欠けている」ではない
子どもをもう産める年齢じゃないな。
そう思い始めると少し落ち着いてくるけれど、それでも子どもがいないことをこんなふうに感じることもあるかもしれません。
「子どものいない自分は、人生で大切な経験をしていないのではないか」
「子どものいない自分は、周りの人たちからは『独身だから、気楽でいいよね』と言われるけれど。そう言われるたびに、自分には何かが欠けていると言われているように感じる」
だけどこれも
欠けているわけじゃなくて
「ほんとうは何かがしたい」なのかもしれません。
何かがしたい。
だけど、できていない。
それが、しんどいのかもしれません。
たくさんの愛や情熱をもっているのに、それを注ぐことができないと。
つらいんです。
ほんとうは注ぎたいのに、注げていない。
それを自分でもどこかでわかっているから、「できてない。何かが欠けてる」って思うんです。
実は、母親をやってみたかった気持ち
ありませんか?
アラフォー、アラフィフの子どものいない女性の心の中に
「自分は、母親をすることができなかった」
という思いを持っている人は、少なくないように感じています。
ほんとうは、産んでみたかった。
ほんとうは、育ててみたかった。
ほんとうは、はぐくんでみたかった。
ほんとうは、愛情を注いでみたかった。
ほんとうは、成長を見守ってみたかった。
ほんとうは、やってみたかった。
そんな思いを持っていること、少なくないように思うんです。
子どもを産んで、育てることが、本能かどうかはわかりません。
だけど、次のような思いはあるんじゃないかと思うんですね。
自分が与えてもらったものを、自分も誰かに渡したい。
自分が体得してきたものを、誰かに伝えたい、受け継ぎたい。
自分が大人になれたのは、誰かが育ててくれたから。
誰かから愛を与えてもらっていたから、です。
それは親だったり、おばあちゃんやおじいちゃんだったり、親戚のおばちゃん、近所のおばさん、学校や習い事の先生だったり……するかもしれません。
自分を愛してくれたのが、親とは限らないかもしれないけど
誰かから、愛情をもらったから、大人の自分がここにいる。
だけど
与えられた愛を、誰にも受け渡すことなく
自分のところで止めてしまっているとしたら……。
人は、自分が与えてもらってばかりだと
それだけで、罪悪感を持ってしまうところがあるようなんです。
与えてもらってばかりで、自分は与えることができていない。
自分には何もできていない。
そうやって、自分を責めてしまうようなところがあるんです。
人というのはどれほど、愛を与えたい生き物なんだろうと思うんですね。
愛情を誰かに向けて、何かに向けて注いでみたい。
だけど、それができていないのがつらい……。
そんなふうに思うこと、ありませんか?
あなたはこの世界に何を注ぎたい人ですか?
もし子どもがいたとしたら注ぎたかったもの、それは何でしょう。
それは、あなたにとって大切な何かではないでしょうか。
あなたがあなたになるために、大切な何かではないでしょうか。
もし「ほんとうはしたい」「ほんとうは何かがしたい」とするならば。
あなたは、何をこの世界に与えたいのでしょうか。
それは誰かを愛することかもしれません。
それは誰かを育てることかもしれません。
それは誰かを楽しませることかもしれません。
それは誰かにやすらぎを与えることかもしれません。
それは何かのお世話をやくことかもしれません。
それは誰かを何かをいきいきと輝かせることかもしれません。
もし、ほんとうは自分の中の愛や情熱を何かに注ぎたいとしたならば。
あなたは、この世界に何を与えたいと思っているのでしょうか。
先日、40代後半の女性A子さんと話していたときのこと。
彼女は、こんなことを言いました。
「子どもがいれば、30代、40代に子どもの成長のこととか考えられると思うんだけど。子どものいない自分は、これから先どうやって生きていけばいいんだろうって。
これから先を生きていく目標がないと生きることに挫折してしまう気がする」
A子さんからそう聞いて
わかる、と思いました。
言い換えると、こんな言葉になると思うんです。
これから先、自分の愛やエネルギーを何に向けていけばいいのか。
自分の愛やエネルギーを持て余したままだと
生きることに挫折してしまう気がする。
自分の愛やエネルギーを誰かに、何かに与えることができないと
生きている意味を見出せない。
そんな心の声なのだと思うんです。
封印してしまった「やりたかったこと」
A子さんはどんなふうに愛したい人なんだろう
という話になりました。
A子さんは、若い時からずっと
子どもをほしいと思わなかったと言います。
「そういえば子どもの頃、ペットを飼っていたことがあって。
すごくかわいがっていたの。
周りの大人が、私がペットをかわいがる姿を見て『まるで子どもを育てているお母さんみたいね』と言ってたの」
だけど、大事に世話していたペットは不慮の事故で亡くしてしまったといいます。
自分になついてくれないペットに腹が立って、いじめたこともありました。
どうやらそのとき、こんなふうに思ったようなんです。
「こんな自分は、お母さんになったらいけない」
子どもの頃、ペットを自分の子どものようにかわいがって、お世話して、一生懸命育てていた彼女だったのに。
「お母さんになること」を封印してしまったんですね。
本当はお母さんがやりたかったんだよね。
小さなころからペットを相手にお母さんをしていたほど、やりたかったんだよね。
なのに、封印しちゃったんだね。
そんな話をしていたら、A子さんの目からポロポロと涙があふれてきました。
だって、彼女はずっと思ってたんです。
「私、自分が子どもっぽいから子どもをほしいと思わないんだと思ってた。
なのに、ほんとうはこんなにも、お母さんがやりたかったなんて――」
彼女は「自分は子どもっぽいから。自分には力がないから」と、自分から愛情を与えることを封印してきたんです。
だけど、彼女がやりたかったことは、誰かをかわいがったり、育てたり、お世話したり、ちゃんと社会に出て行けるようにいろんなことを教えたりすることだったんです。
いままで何やってきたんだろう。
彼女は言いました。
そう思いますよね。
だって、本当はやりたかったことを「自分はそれをやってはいけない」と思い続けてきたのだから。
悲しい気持ちや悔しい気持ちも、出てきます。
だけどそれ以上に
「やっと自分のやりたかったことと、つながれた。
やっと思い出せた」
そんな気持ちになったようでした。
もう子どもを持つことはないけれど。
A子さんはこれから、「お母さん」をやっていくことになるんじゃないかと思います。
彼女が子どもの頃からずっとしたかった、お母さんっぽい愛し方。
それを、誰かに、何かにしていくんじゃないかと思うのです。
子どもを産む年齢を過ぎていても
自分らしい愛し方を思い出すことができたなら
きっと誰かに何かに与えたいと動き始めると思うのです。
「愛と情熱の注ぎ先」を見つけるということ
もう子どもを持つのは無理だな。
そう思い始めた44、5歳ごろから、私は何かを探し始めたんですね。
子どもを持つのは無理だなと思ったから
「子どもさえいてくれれば」で満たそうとしていた何かを自分で満たすためにはどうすればいいんだろうと、動き始めることができたんです。
灰色の日々をそれからも生き続けるには、あまりにも長すぎたから。
100歳まで生きそうだもんな。手相の生命線、長いし。
あと50年、生きるとしたならば。
それに耐えうる何かを、見つけなきゃな。
私の場合、キーワードは「愛と情熱の注ぎ先」でした。
自分の愛情、自分のエネルギーを、自分の想いを注げる先がほしかった。
情熱的に自分を何かに向けて注ぎたかったんですね。
愛と情熱の注ぎ先。自分は何に愛と情熱を注ぎたいんだろう。
そう思うようになってから、大きく何かが動き始めました。
それまで壁にぶつかって、前に進めなかったのに。
動き始めることができたんです。
動き始めれば、見えてくるものがある
何から始めたらいいかわからないけど、とにかく思いつくものに手あたり次第、手を出しました。
最初はめっちゃ手探りです。
何をすればいいのか、わからなかったから。
やってみて、不発もたくさんありました。
だけど手探りでも、不発がたくさんあっても、ぜんぜんOK。
大事なのは動き始めること。
動き始めれば、自分にとって必要な情報、必要なものにだんだんとアクセスできるようになっていくようなんですね。
余談ですが。
出会ってよかったと思うもののひとつが、カウンセリングです。
生きてきた中で、たくさんの失敗感を抱えてきた。
あまりにたくさんの失敗感を抱えすぎて、身動きがとれなくなっていた。
自分の人生もう終わってると、人生を諦めていた。
だから、面白いとか楽しいとか、そんな感覚がまるでわからなくなっていた。
抱え込んできたたくさんの失敗感や怒りや悲しみ……自分が抱え込んだネガティブな感情を癒していったら。
感情や感覚が戻ってきたんですね。
長い間、ロボットみたいに、ただの働く機械になっていた。
何も感じなくなっていた自分だったけど。
楽しいとか面白いとかこれ好きとかこれやりたいとか…。
そんな感覚が戻ってきたんですね。
抱えている思いの分だけ
注ぎたい愛情や情熱がある
ここまで読んで、だんだん気づいてきたかもしれません。
子どもがいないことのモヤモヤは、
子どものいない自分は欠けているんじゃないかとの思いは
「ほんとうは注ぎたい何か」があるのに、注げないことの苦しさかもしれません。
ほんとうは生み出したい何かがあるのに
それができないことのしんどさかもしれません。
もし、いま、もやもやとした気持ちやチクチクとした思いや悩みを抱えているとしたら、きっと、その気持ちと同じ分量だけの「注ぎたい愛情や情熱」があるってことかもしれません。
子どものいないアラフォー、アラフィフ女性が抱える
「自分には何もない」という感覚。
もしかしたらそれは
「誰かを愛したい。自分の愛を注ぎたい。育ててみたい。
だけど、できていない。
そんな自分には、何もない」
ということなのかも、しれません。
自分には何もない、と感じるのは
愛を注げる対象がない、愛やエネルギーをどこにも注げていない
ということなのかもしれません。
だとしたら
自分の愛したい気持ちとつながること。
自分の中にこんなにも、誰かを愛したい気持ちがあるんだと気づくことなんです。
何かの理由があって、
自分の愛を注ぐことを、諦めてきたのかもしれません。
諦めてしまったから、愛したい気持ちを押しとどめているのかもしれません。
自分の中の愛したい気持ちとつながれたとき
「これがやりたかったのかもしれない」と思うかもしれません。
自分の人生を取り戻すということ
子どもはもう持てないな。
そう思うことができたから、自分を再生させなきゃって思えたのだと思います。
自分の中の空白を、子どもで埋めることができなかった分、自分自身を再生させる方向に、舵をきれたのかなって思うんです。
いまから思うと、自分の中の空白を子どもで埋めるような方向にいかなくて、よかったなと思います。
子どもがいても、いなくても。
自分の人生は、自分でつくっていける、自分で面白くしていける。
そのためにも、自分の力を取り戻す。
40代前半の自分の人生終わっちゃった感を抜け出すために必要だったのは、私の場合、自分の人生を取り戻し、あらためて生き直すことでした。
自分では、もう何もできない。
自分では、もうエネルギーを注げない。
自分には、自分の人生をつくっていく力がない。
と思ってしまっていたけれど。
そうじゃなかったんだ――。
子どものいない人生
これからをどう生きるか
いつか結婚して、子どもを持つんだろうなって。ふつうに思ってた。
だけど、気が付くと、もう子どもの持てない年齢になっている。
自分の人生どう生きようなんて、考えたことなかった。
だから、どんなふうに生きていけばいいのかわからない。
もしそんな気持ちがあるのだとしたら。
そこを抜けた先に、新たなステージが広がっているかもしれません。
子どものいない人生のつくりかた。
いまはロールモデルもいないように思えるから、残りの人生どう生きていいのかって思ってるかもしれません。
いまはちょうど、子どものいない人生を手探りながらつくっていく過渡期なのかもしれません。
自分の人生を楽しみたい。
本当はもっといきいきしたい。
自分を注げる何かがほしい。
もっと力一杯生きてみたい。
愛情を何かに注いでみたい。
たとえばそんな思いが心のどこかにあるなら。
きっと、そっちに向かっていけます。
自分自身で、そっちに行ってみたいと思うことで、だんだんとそっちに向かっていけます。
いまはそう思えなくても大丈夫です。
願うことで、そっちに向かっていけますから。
小さなことから始める愛の注ぎ方
自分の中の愛とつながったら
まずはすぐにできるところから
愛を与えていくといいかもしれません。
それは、鉢植えの植物を買ってきて毎日、お水をあげることかもしれません。
仕事でときどき話す後輩を、見守る気持ちで接することかもしれません。
ボランティアをしてみたいと思うかもしれません。
もし「自分も誰かを育ててみたかった」という思いがあるのなら
自分がお母さんになったとしたら、どんなお母さんになっただろう?
何を大事に思いながら、子どもと接するお母さんになっただろう?
何をしてあげたかっただろう?
そんなことを考えてみるのもいいかもしれません。
その中に
あなたがしたい愛し方があります。
できることから、やっていく。
自分の愛情を注いでいく。
やっていくうちに、与える範囲がだんだんと広がっていきます。
そして気づくと、「自分には何もない」と感じていたころのむなしさから抜け出して
自分の愛を注ぎながら、誰かとのつながりの中に生きている。
そう感じるときがくるかもしれません。
人は愛したい生き物、与えたい生き物。
それができないだけで、悩むんですよね。
あなたの中にある種を見つけませんか
自分の中にある何かにつながって、それを「与えたいんだ」「注ぎたいんだ」「やりたいんだ」って思えると。
あ、それやってよかったんだ。
あ、それやりたかったんだ。
あ、それが私にとって大事なことだったんだ。
ふっと、腑に落ちる何かを感じられるかもしれません。
そしてそれはきっと、あなたにとって大切な種です。
抱えていた悩みや思いを整理して手放すと、その分だけ、新しい何かが入ってきます。
それは、あなたにとって大切な何か、あなたがいきいきと生きるための大切な何かかもしれません。
もしかしたら、未来はこれからおもしろくなるかもしれない。
ここまで読んで、あなたの心に響くものがあったとしたら。
それはきっと、あなたの中に愛したい気持ちがたくさんあるということ。
その愛情を遠慮せず、誰かに何かに注いでいけますように。
自分の愛とエネルギーを注いでいくこと。
それが、あなたがほしい世界をつくります。
あなたがほしい生き方をつくります。
子どものいない人生のつくりかた。
それは、あなたの中に眠っている「注ぎたい何か」「与えたい何か」を見つけることから始まるのかもしれません。
まずはその種を、一緒に見つけていきませんか?
もしいま、子どもを持てなかった気持ちで心がいっぱいいっぱいになっているなら。いつでもお手伝いさせてください。
そこから、きっと抜けられますから。
そして、抜けた先にはいまとは違った世界が広がっていたりしますから。
いつでも、お話聞かせてくださいね。

