なぜか最近、昔のことを思い出す…新たなステージに向けて手放すことと、取り戻すことと
昨日はカウンセラー仲間での勉強会でした。
そこで話された話をもとに、メモ書き程度ですが書いてみますね。
もし、みなさんのなにかのヒントになれば……。
コロナになったことで、世の中(世界)全体が大きな変化の時期を迎えています。
世の中が変化するとは、人のマインドも変化の波にさらされているということなんですね。
変化とは、変わるということ。
変わるということは、新しいものを取り入れていくということ。
変わるためには、古いものを手放す必要も出てきます。
コロナは、日常の中に突如、空白期間を与えてくれた気がしています。
忙しい毎日を「こういうものだろう」と思いながら過ごしていたところに、突如現れた空白期間が、自分の生き方を問い直す機会を与えてくれた。
そんなふうに感じているんですね。
満員電車に乗らなくてもいいのかもしれない。
毎日会社に行かなくても、いいのかもしれない。
やらなくてはいけないことと思ってきたけれど、やらなくても済んでしまうことだったのかもしれない。
これまでの「あたりまえ」とか「しなくてはいけない」と思ってきたことが、コロナが与えてくれた空白期間により、「あたりまえじゃないのかもしれない」と感じるようになった。
それは、とても大きいことだと思うのです。
もし「これまであたりまえと思ってきたことに従わなくてもいいのか」とか、「これやってあたりまえ思考で、日常を埋めてきたのか」と気づいたとしたら、「これまでの生き方で、ほんとうによかったの?」という思いがでてきます。
そして、「自分にとって、ほんとに大事なものってなんなんだろう?」と問い直すことにもなります。
自分は、何を大事に生きていきたいのか。
自分は、どんな生き方がしたいのか。
自分にとって大事なものってなんだろう。
そんなことを問い直すための時期が、いま、きているようなんですね。
それは同時に「ほんとうは大事なのに、『いらないもん』『むりだもん』と思ってフタしてきたものって何だろう?」ということにも、向き合う機会になるのかもしれません。
もう済んだはずのことが
なぜか思い出されるなら
いま、過去のいろいろな思いが潜在意識や無意識から上がってくることもあるようなんです。
この一週間カウンセリングで
「なんか昔のことをあれこれ思い出しちゃって。ちょっと不安定な気分が続いているんです」
そんな話を伺うことがありました。
昔のことを思い出しちゃう。
昔、別れた彼のことを思い出しちゃう。
私自身も、この1週間、昔の、自分では「もうこの件については済んでるよね」と思っていることについて、あれこれ思いを馳せることが多々ありました。
どうやら、そんな時期みたいなんですね。
私が何に思いを馳せていたのかというと。
昔、別れた彼。彼と最後までいられなかった。
彼のことを見捨ててしまった私……。
そんな思いです。
もうずいぶん前に、完了した思いだと思っていたけれど……。
それでも、上がってきたんです。
なんのためかというと……。
自分の中の「切り離してしまった想い」を、もう一度、取り戻すためだったようなんです。
人の心って、痛みが強いことだと、それを心の中から切り離してしまうことがあるようなんですね。
例えば。昔、別れた彼。
その彼をほんとうはなんとか助けたかった。
だけど、できない。もう無理だと思った。
助けたいけど、助けられない。もう自分には無理。だから別れた。
そのとき心の痛みが大きいと、彼にまつわる想いを自分の心の中から切り離してしまうことがあるんですね。
彼が活躍できることを誰よりも願ってきたことも、すべてを切り離して、封印してしまったりするんです。
そして。
もう二度と、あんな思いをしなくてもすむようにと、固く鍵をかけてしまったりするんです。
そこには、まだ世の中で認められていない彼を応援する気持ちだったり、彼の才能を信じる気持ちだったりもあるはずなのに、封印されてしまうんですね。
だけど、切り離されて封印されているものの中に
もともと持っていた想い・才能が眠っていたりするんです。
その想いは、実はとても大切な「想い」だったりもするんです。
もうずいぶん昔に済んだはずの誰かのことが思い出されたりするのは、その封印してしまった「大切な想い」を、もう一度、自分の中に取り戻すためだったりするかもしれないんですね。
彼をなんとか助けたかった。
彼の才能を信じていたから。
でも、助けられなかった……その痛みがすべての想いを切り離させているとするならば。
痛みを手放したら「想い」は取り戻すことができるんです。
「想い」がその人らしさを生み出す
「想い」
これ、かけがえのないものだなって思うんです。
想いがあるから、何かを生み出したり、育んだりしていけるんだと思うんです。
想いがあっても、うまくいかなかったかもしれない。
でも、想いを持ち続けることで、うまくいくまでやり続けることができるんです。
対象は、変わるかもしれない。
別れた彼に、なにかをすることはないから。
だけど。
想いを別の誰かに向けることもできるんです。
それは、個人かもしれないし、もっとたくさんの人に対してかもしれないし。
でも、想いがなにかを生み出していくんです。
だから。
痛みを流して手放して。
「大切な想い」を、ふたたび、自分の心に取り戻すこと。
それって、大事なことなんです。
想いが、その人らしさをつくるから。
想いを取り戻せば取り戻すほど、その人らしさを生きられるようになるから。
痛みとともに切り離してしまった、自分にとって大切な想い。
それは、自分が自分らしく生きるために、とても大切な想いです。
昔のことが、ふと意識にあがってくる。
ずいぶん前に済んだはずなのに、なぜかこのタイミングで久しぶりに思い起される。
それは「あのとき」に、痛みとともに切り離したままになっている大切な想いを、もう一度、自分の中に取り戻すためなのかもしれません。
手放すのは、痛み。
「想い」にくっついた痛みが流されたら、また自分にとって大切な想いを取り戻すことができるのです。
これをやるのが当たり前、これをやらなきゃいけない。
そんな日常を生きてきた。
けれど、その先の次のステージは「自分を生きる」というステージなんじゃないかと思うんです。
だからこそ、大切な想いを取り戻す。
自分らしさのもとである、「大切な想い」を取り戻す。
新たなステージに向けて、いま、そんな時期なのかもしれません。