罪悪感って何?
罪悪感って「自分が悪いんだ」という感覚のこと。
うまくできない自分が悪い。
うまく愛せない自分が悪い。
あの人を愛することができていない自分って悪いやつ。
そんな罪悪感を知らず知らずのうちに、持っていたりするものなんです。
しかも、溜め込んだりしているものなんです。
罪悪感という感情は、「持たなくていいもの」なんだそうです。
(持っちゃうけど)
そのくらい、ついつい持っちゃう罪悪感なのですが。
この感情を持っていると、自分を罪びと扱いしてしまったりもするんです(知らず知らずのうちに)
自分みたいな○○な人間は、幸せになる資格がない。
そう思って、自分に重労働を課したり、楽しみやラクさを与えなかったり、いちばんほしいものを手に入れないようにさせてしまったりもするんですね。
しかも、あるとき抱いた罪悪感をずっと長い間抱え続けてしまうことも、本当に多いんです。長い間抱えた罪悪感で、心の奥で自分自身を責めている……。
昔、大事な人を助けることができなかったこと。
昔、誰かを傷つけてしまったこと。
昔、彼に別れを告げてしまったこと。
長い間、大事な人をちゃんと愛せずにいること。
etc…
そして。
罪悪感を感じる相手から、距離を置きたくなったり
罪悪感を感じたときに、代わりに誰かのことを責めてしまったりしては
なんとも苦々しい気持ちになったりします。
自分ってほんとヤなやつだな。冷たい人間だ。
そんなふうにも、感じます。
だけど。
実はやさしい人だから、罪悪感を持つんです。
心やさしき人だからこそ、
うまく愛せなかった自分やうまくできなかった自分を「ひどいやつ扱い」するんですね。
誰かにやさしくできなかった自分って、最悪。
誰かに怒っちゃった自分って、最悪。
誰かに嫌な思いをさせてしまっている自分って、最悪。
誰かの期待に応えられなかった自分って、最悪。
誰かより恵まれている自分って、最悪。
誰かより愛されている自分って、最悪。
誰かを救えなかった自分って、最悪。
誰かに愛せていない自分って、最悪。
誰かから離れていこうとしている自分って、最悪。
こんなふうに感じてしまったりするんです。
例えば
誰かより恵まれている自分って、最悪って
意味不明な感じもしますよね。
これは
恵まれている自分のことを「自分だけ恵まれてしまってごめんなさいと思っている」
ということなのですが。
こんなことにも「ごめんなさい」「申し訳ないです」という感情を抱いてしまうんですね。
心やさしいから。
私が心理学を学び始めたころ、一番衝撃的だったのが
「あなたは、すでに常に許されています」というフレーズでした。
何度聞いてもわからなかったのですが
自分が罪を犯したと思った瞬間から、許されている。
そもそも、罪なんてもともとないのだから。
という意味だったように思います。
そのくらい、自分で自分ことを自動的にすぐ罰してしまうところが人の心にはあるようなんですね。
罪悪感を抱いてしまうのは、そこに愛があるから。
愛があるからこそ「うまくできなかった」と思ってしまう。
だから、罪悪感を感じているということは、その感情の下に愛があるということ。
罪悪感の下にある、自分の愛とつながることができれば。
罪悪感はなくなっていくんです。
だけど。
罪悪感そのものに、なかなか自分では向き合えない。
(だから、苦しいんですよね)
カウンセリングでも、ずっと抱えていた罪悪感を「持たなくてよかったんだ」と感じられると、グッと心が軽くなります。
ほんとに、不思議なくらい、軽くなるんです。
自分の中に罪悪感があるのを認めるのは嫌だから、避けて通りたくなるのだけれど。
それでもいったん、罪悪感があることを認める(罪悪感という感情をちゃんと持つ)。
そうすると、癒していくことができるんです。
罪悪感が自分の中にあることを認められないと、罪悪感から解放されることもできないんです。「認めない」ってことになってると、罪悪感を解放するにも「ない」ってことになっちゃってるから。
だから、いったんは罪悪感があることを認める。
だけど、なんで罪悪感を持つようになったんだっけ?ということを見ていくと……。
罪悪感を抱く原因となった「愛」を見つけることができるんです。
愛があるから、「うまく愛することができなかった」「助けることができなかった」「なにもできなかった」「ひどいことしちゃった」……と思うのです。
罪悪感を癒すとは、そのことに気づいていくプロセスなのです。
私も長い間、罪悪感とお友達でした。
だけど、罪悪感を降ろすことができました。
そしたら、見える景色が変わっていったんです。
いつもの日常の見える景色が、変わっていったんです。
だから。罪悪感を恐れないでほしいんです。
そして、罪悪感って一人ではどうすることもできないから。
よかったら、いつでもお話を聞かせてくださいね。