この講座への想い
私の才能は、その人の才能を感じることです。
大学生だった堺雅人は、舞台の上でキラキラと輝いて見えました。
30人の小劇場の舞台に立っていた、阿部サダヲを見て、その異常なまでの気持ち悪さをまじですごいと胸を打たれました。
この人すごいと思いながら、世に出なかった人もいました。
才能を感じる分、世に出られないままになる人を見るのはつらいことでした。
20年前、一緒に暮らしていた人は才能のある人でした。
だけど、その才能を世に出すことができませんでした。
才能を持て余す姿を見るのが、とても悲しかったから。
才能を世界に開いていけるようになる
その方法を、ずっとずっと探してきたんだと思います。
どうしたら、人が、その人自身を活かすことができるのか。
心から満足できるように、その人自身を活かすことができるようになるのか。
子どもの頃から、才能ってなんだろうと思っていました。
小学生時代の愛読書は、日本文学全集の巻末の年譜。
文豪たち一人一人の生まれてから亡くなるまでの年譜を読むのが好きでした。
中学受験をして、最難関の女子校に入学しました。
私は凡人だったけど、そこにはすごい女子たちがいっぱいいました。
トップの学校って、天井がないから
すごーくへんてこりんな人たちの集団になるんです。
へんてこりんな人か、秀才か。
なんで教えられてないのに、こんな難問解けるんだ?
しかも、楽しそうにうれしそうに。
そんな人たち。
だけど、当時は
医者になるか、東大に行くかくらいしか道がないように見えていました。
私はその学校を途中で辞めてしまったのですが
あれだけの才能の使い先が、医者か東大しかないことに憤っていました。
もっとほかに、活かす道があってもいいはずなのに。
なんて貧困なんだ。
文部省にも、怒ってました。
大学受験がゴールになるような教育は、貧困すぎると。
真面目に、怒っていたのです。
Youtubeを見るのが、好きなんです。
でね、何を見てるのかというと。
この人すごいな、この人面白いなと思う人が
どうしてこんな人になったんだろう
どうしてこんな人ができあがったんだろう
この人は、もともとどんな人だったんだろう。
どんな転機があって、どんな凹み期があって
自分を活かして生きられるようになったんだろう。
どんな道を通ってきたんだろう。
その人が、いまのその人になるまでを
Youtubeを見ながら、あれこれ研究してるんです。
いま、すごいって思う人たちも
みんなふつうの人だった。
なんらかの出会いがあって、何かに夢中になったりして
自分の持つ能力・才能を使うようになった。
自分には才能なんてない、と感じることもあるかもしれません。
だけど、その人らしい何かをみんな持っているんです。
それが、なにかがあって
自分でも知らぬ間に、閉じるようになってしまった。
もともとの自分らしさとか、特徴的なところを
閉じるようになった。
そんなことも、とても多いんです。
才能の中には、「その人らしい生き方」も入ります。
ある人は、「この家の中で自分は変わってる」と子どもの頃から思っていた。
お父さんは働き者で、中学を卒業して東京に出てきて、自分の会社をつくった。
お父さんはきょうだいが多かったから、弟たちのために、猛烈に働いてお金を稼いだ。
そんな家に生まれた娘は、不思議なことが好きな子だった。
真面目なことより、不思議なこと、神秘的なことに興味を持つ子だった。
だけど、この家で、こんなことに興味を持つ自分はおかしいからと
「ふつうの生き方」をしようと、頑張った。
社会人になって、ときどき仕事を辞めたタイミングで
インドに出かけたり、世界放浪をしたりもしたけど
日本では、ふつうの生き方をしようと頑張った。
いつも「自分には、やりたいことがわからない」と思ってた。
だけど。
本当は、心惹かれる生き方があった。
自然の多い土地で、畑を耕したりしながら、暮らしたかった。
それが、彼女には合っていた。都市部での暮らしは、いつも自分の感覚を閉ざさなくてはいけなくて、つらかった。
そんな自分を押し込んで「ふつうの生き方しなくっちゃ」とずっと思ってた。
そして、どう生きればいいのかが、見えない見えないと思ってた。
面白いことなんて、なんもないと思ってたけど。
それは、本当の自分らしさ、自分の好きなこと、心惹かれることを抑え込んでいたから。
「ほんとうはこう生きられたら、めっちゃうれしい」
そんなものを心の奥に持ちながら、ずっと「ありえない、そんなこと現実的じゃない」と思ってきた。
「ほんとうはこう生きられたら、めっちゃ楽しそう」という生き方にずっと蓋をしてきたけれど
自分の人生に、自分の望みを持ち込んでも、いいのかもしれない。
だんだん、そう思えるようになった。
そう語ってくれました。
自分の生き方を開いていく手前で
にっちもさっちも行かなくなる時期が来ることも、少なくありません。
順調にうまくいっているときは、生き方を変えようって思わないんです。
生き方を変えよう、もっとほかに手はないんだろうかーー。
そう思うのは、にっちもさっちもいかなくなって追い込まれるからでもあるのです。
ある人は、それまで長い間やってきた仕事が、どうにもうまく回らなくなった。
あれこれ手を打ったものの、売上が下がっていくばかり。
どんどんジリ貧になっていく不安の中にいました。
あるとき、占いをしている友達ができました。
そして、自分でもカードを買って遊びで占いをするようになりました。
彼女は、とても感覚的で直感的な人だったのです。
それを「誰にも頼っちゃいけない。死ぬまで自分のことは自分でなんとかしなくては」と男性的な生き方をしていた分、直感や感覚に蓋をして生きていました。
それが「誰にも頼るわけにはいかない」という生き方を手放した分だけ、もともと豊かに持っていた女性性を表に出すことができるようになりました。
そして、周りの人たちの問題を「自分がなんとか助けなきゃ」というマインドを手放したら、人をサポートすることを仕事にしてもいいかもしれないと思えるようになりました。
助けなきゃマインドが強すぎると、「人の悩みなんて聞いたら、ぜんぶ背追い込まなきゃいけないんじゃないか」という不安から、そこに才能があったとしても、活かすことができなくなってしまうのです。
そしていま、占いを仕事にするようになりました。
直感や感覚を活かした占いは、すぐに評判になりました。
こんなふうに
自分がもともと持っている才能、資質、自分らしさを活かし始めると
「そうそう、これがやりたかったんだ」
「これを、こんなふうに使いたかったんだ」
と感じはじめます。
それは、あなたが本当に生きたい生き方の道を歩み始めたサイン。
こう生きたかったんだ。
自分をこんなふうに活かしたかったんだ。
の第一歩を踏み出したあとも道は、続きます。
たぶんそれは、どんどんと深化していくような、そんな道。
その道をだんだんと進むほどに
「自分はこれをやるために生まれてきたんだ」と思えるようになるかもしれません。
道を進みながら
何かと出会い、誰かと出会い
やっていることが少しずつチェンジしたり、新しい扉が開いたりしながら
「これをやるために生まれてきたんだ」の感覚が、どんどん深まっていく。
そんなこともあるかもしれません。
私の願いは、ひとりひとりが本来この世界に持ってきたものを生きられるようになることです。
知らぬ間に閉じてしまった自分、押し込んでしまった自分を見つけてそれとつながり、自分の才能・ギフトをこの世界に活かしていく人が一人でも多く増えることです。
これまで
5000件のカウンセリングをしてきました。
5000時間ワークショップに参加して、心にまつわる学びを深めてきました。
どうしたら、最高に自分らしく、自分を生かすこととができるのか。
ずっと考え続けてきました。
たぶん、子どもの頃からです。
私にも、にっちもさっちも動けない時期がありました。
自分の情熱を持て余しながらも、身動きが取れずにいた時期がありました。
それが、どれほど閉塞感があったか、知っているつもりです。
だからこそ
あなたがこの世界に持って生まれてきたものを生きられるように
お手伝いしたいと思っています。