自分にないものこそ、自分が生み出すことができるもの~自分のほしいものの見つけ方~

自分にないものこそ、自分が生み出すことができるもの。
そう聞いたとき、どんなふうに思いますか?
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例えばAさんの場合。
年の瀬、スーパーにいくとたくさんの食材が並んでいました。
お正月を迎えるための食材をたくさんの人が買いに訪れています。
それを見て、ふと思います。
いいな、食卓におせちの並んだお正月……。
頭の中にはむくむくと、きれいなおせちの並んだお正月の食卓の光景が浮かびます。
アメ横に行っても同じような妄想が頭の中をよぎります。
うわ~。食材がいっぱい~。
これ、めいっぱい買いたいな、楽しいだろうな。
でも、ひとりだからな…。
そう思うと、シュンとしてしまい
おいしそうな食材が豊かに並んだ食卓は実現されることなく
ひとりのお正月を迎えることに……。
だけど。
たくさんの食材が並んだ食卓に、どうして思い入れがあるんだろう。
そう思ってみたら、見えたきたことがありました。
ふと、思い出すことがあったのです。
そういえば。
子どもの頃、お正月はおばあちゃんの家に行っていた。
そこには、おばあちゃんやいとこ、おじさんおばさん、お父さんお母さんがいて、わいわいみんなで楽しかった。
一人っ子の自分は、みんなでおせちを食べて、テレビを見て、トランプしたり、ゲームしたりして、わいわいするのが楽しかった。
みんなが一緒に過ごしているのがとても楽しくて。
このままみんな一緒に暮らせたらいいのにといつも思っていた。
子どもの頃から、いつも誰かとワイワイしている大家族がほしかったのかもしれない……。
そういえば。
誰か一緒に暮らせる場が持てたらいいなと、よく空想していた。
シェアハウスとか、つくれたらいいのにな~って。
ひとりの人が寄り集まって、仲よくなれる場がつくれたらいいのにな~って。
そのくらい家族っぽいつながりが、ずっとほしかったのかもしれない。
そう思っていたことに、気がついた。
***
自分になかったけれど、ほしかったもの。
「ほんとうはほしいのにな」と思った分だけ、きっとそこには思い入れがあります。
ひとりはさびしいな。
ひとりはつまらないな。
誰かといられたらいいのにな。
そんな思いを重ねた分だけ、きっとそこには思い入れがあります。
思い入れの中には
みんなでいると楽しいなという思いも、ひとりでいるのはさびしいな~という思いも、両方入っていたりするものです。
でも、だからこそ、
「ほんとうは、こうだったらいいのにな」という思いは、深くなります。
自分にはなかったものだからこそ、そこに価値を見ることができることもあるんです。
上記のAさんなら、ひとりだからこそ、大家族であることの中に、楽しさやにぎやかさという価値を見ることができるんです。大家族の中にいる人にとっては当たり前すぎて感じていない価値を見ることができたりするんですね。
価値を見ていること。
それ自体が、価値なんです。
「それって、いいよね~」
という思いは、それを生み出す源泉になるからです。
「自分だったら、こんな形のものを作り出したいな~」
と思い始めたら、きっとわくわくするはずです。
子どもの頃に自分になかったものが、
仲のいい両親の姿だったとしたら、仲のいいパートナーシップへの憧れの気持ちをいっぱい持っているかもしれません。
生真面目で楽しむという要素の少ない家庭で育ったとしたら、楽しそうなことにあれこれ手を出してみたい、自由に自分らしくやりたいことをしたいという気持ちをいっぱい持っているかもしれません。
友達の輪の中に入っていけず一人でいることが多かったとしたら、人とつながること、人と一緒に何かを共有することに価値を見出しているかもしれません。
このとき
ほしかったのに、誰もくれなかった。
と思っていると……。
これを手に入れることができにくくなるんですね。
「誰もくれない」と思っているということは
自分で作り出すことができる、という道を放棄していることになるからです。
自分では手に入れることができない(誰かがくれないと、手に入れられない)と
思っているということは、自分で自分の主導権を放棄しているともいえるんです。
自分じゃ無理と思うと
奪うエネルギーになってしまったり
どうせ手に入らないしと諦めのエネルギーになってしまったり
してしまいやすいんですね。
これを
自分にはなかった。だから、自分はそれを生み出したい。
と思うと、手に入れる道が出てきます。
そうか。自分はこれをこんなにほしいと思ってたのか。
じゃあ、自分でできるとこからつくってみようか。
そう思うと、例えばAさんのように大家族がほしいものなら
結婚して子どもをたくさん持とうとするかもしれないし
結婚じゃなくても、家族っぽいつながりを作ることってできないかなとあれこれやり始めるかもしれません。
自分にはなかった。だから、それを生み出したい。
これ、やり始めてみると意外と馬力が出てきます。
狙いをいきなり大きなところにするんじゃなくて
小さくてもいいから、それっぽいものを自分が生み出すには何ができるかな?と考える。
すると
あれ、意外とできるかもしれないぞと思えるし
やり始めてみたら、意外と楽しいぞと思えたりします。
(だってもともと、ほしかったものですから)
自分にはなかった。だからそれを生み出したい。
そんなやりかたもあるんだなって。
あれ? 何かおかしい。
自分の人生で、この部分の歩みが止まっちゃっている……。
自分も人生で、この部分が手に入らずにいる……。
もしかしたら、そんなところにこそ
この法則を当てはめてみると、いい具合に動き始めるかもしれません。
あ、ずっとここで止まっていたのは、こういうことだったんだ
と腑に落ちるかもしれません。
自分の人生の進みを止めちゃうくらい、そのくらいほしかったということなのかもしれません。
あなたのほしかったものを手に入れることができますように。